おもうに

Our output wish us to be beyond them.

道半ばシリーズ:脱べき論に向けて

お久しぶりです、約3か月ぶりの投稿となりました。これほど間を空けてしまったのは初めてのこと。単にサボりといえばその通りではあるのですが、ちょっとした自分の問題に直面していたのが主な理由です。今回はその問題について、つらつらと書いてみます。

なにか物事を前に進めるとき、まず自分は考えを規程したがる傾向にありました。何にしても、~だからこうした方がよい、こうあるべき、という形に落ち着かせたかったのです。なぜそうしているのかと言えば、楽だから、なのでしょう。一度確からしいレールを決めてしまえば、あとはそれに従って進めばいいだけです。進むことだけに力を注げるので、効率的ですし、実際それでうまくいっていました。過去の成功体験も相まって、無意識にそう考えていたようです。


しかしながら、自身の取り巻く環境、自身の立場が変わるにつれて、それが通用しなくなってきました。レールを決めない方がよいものやレールを決められないものは世の中にたくさん存在します。頭ではわかっていたつもりだったのですが、それに対峙したときに、どうにも対応ができなくなったのです。

じゃあどうすればいいのか。対策はいったいどうすれば、まず何をすべきなのか・・と考えるのが今までの自分でして、またレールを決めようとして、堂々巡りになってしまう。この袋小路でグルグルとバターになりかけていたのがここ数ヶ月のことでした。

やればいいことは、レールを決めないこと。しかし、今までの習慣というのは根深く、ふと気づけばレールを決めようとしている。レールを敷かずに動くことが怖い、つまりは失敗するのを恐れているということかもしれません。でも、答えはその先にしか無いようですので、現在その方向に矯正を試みています。具体的に言えば、準備をしない。対策をしない。自分の実力、周りの現状をありのままに受け止めて、その場で「ありたい方向」に向けて精一杯動いてみる。「すべき方向」ではなく、「ありたい方向」というのがポイントなのでしょう。もちろん準備するときはしますが、状況によってその姿勢も取れるようにしていく。随分と基本的なことな気がしますが、これがいま自分の課題です。

これを見失わないようにするために、休日は精一杯遊んだほうがよいのかもしれないな、と最近おもうところです。さきほど妻にもそうたしなめられたところ。リフレッシュの意味をよく考える日々です。

今日もおもうにをありがとうございます。この記事も、いつもと違ってその場でざざっと書くようにしてみた次第です。一歩一歩。