おもうに

Our output wish us to be beyond them.

質問しないのは家を外観で決めるのと同じとみた

質問とは相手の主張に対して問いを投げかけることだが、これはできればできるほど良い。質問者はその主張をより明確に理解することができるし、質問を受けた人も、自分の主張が正しく伝わっていることを確認できる。質問により主張のほころびや抜け漏れが見つかれば、主張を展開する人にとって考慮すべき点や修正すべき方向が明らかになり、自分の主張をより強いものにすることができる。このように、質問は双方にメリットを与えるものである。

しかし、この質問が苦手である方が少なくない。話していても「はい」か「そう思います」など表面的な反応しかできず、質問を聞かれてもこれといって出てこない。それも、これは質問を隠しているわけではなく、本当に思いつかないのである。なぜこうも質問ができないのか。自分を振り返って気づいたのは、相手の主張をその言葉通りでしか受け取っていなかったことだ。質問ができない原因がここにあると考える。

ここで、相手の主張を「家」に例えてみたい。主張が家ならば質問はどんな役割になるだろうか?ざっと考えて以下の三つとなるだろう。

  • 強度チェック(その根拠ではそうと言い切れないのではないですか?)
  • 詳細チェック(もっと詳しく教えてくれませんか?)
  • 増築(この場合はこうなると考えますが、どう思いますか?)

強度チェックはいわゆる「批判」だが、この指摘のおかげで耐震性や耐久性が向上する。詳細チェックでは、家の構造をより深く知ってもらえる。増築では、家がもっと大きくなり、また機能が増えもするのだ。家を建てた人にとって、どの種類の質問もありがたいものである。

さて、相手の主張をその言葉通りでしか受け取らず、特に質問をしない場合はどう例えられるか。家の外観を眺めているだけ、と言える。一見頑丈そうでも、押せば簡単に揺れてしまうかもしれない。外から見えない機能や構造があるかもしれない。もっと良い部屋や機能を付け加えることができるかもしれない。質問が思いつかない人は、このような視点が欠けているのではないかとおもう。

質問もまたアウトプットのひとつだ。主張を展開するよりもお手軽であり、アウトプットの場を拡大したい自分にとっては見過ごせない要素である。質問が出てこないのも、慣れていないもしくは認知できていない場合がほとんどだろうから、そこからアプローチするのは悪くない気がする。

今日もおもうにをありがとうございます。増築が増築を呼んで街になるのもまた一興。